どうも、マツオです。
今日は、ふとした瞬間に突きつけられた「心の余裕」についてお話ししようと思います。
皆さんは、自分の住んでいる街の景色をどれくらい見ていますか?
知人の撮った1枚の写真に、言葉を失う
先日、知り合いが撮った1枚の写真を見ました。
写真の場所は、近所にあるなんてことない公園。写っていたのは見頃を迎えた桜。
それを見た瞬間、私は思わず絶句してしまいました。
「こんなに綺麗な景色が、すぐそばにあったのか」と。
正直、私はその公園を毎日見ていました。「あぁ、今年も咲いてるな」くらいの認識です。
でも、その写真には、私が知っているはずの公園とは思えないほど、鮮やかで、力強く、それでいて繊細な「春」が切り取られていたんです。
「余裕」という名の忘れ物
その写真の美しさに感動すると同時に、自分の中に言いようのないショックが走りました。
毎日この公園を眺めていたはずなのに、私はこの美しさに1ミリも気づいていなかった。
それはつまり、自分の中に「感動を受け取るための余白」がなくなっていたということなんだと思います。
振り返ってみれば、以前の私はもう少しマシでした。
朝、会社に向かう途中で「今日の空は吸い込まれそうに青いな」と思ったり。
道端の植え込みに花が咲いているのを見つけて、少しだけ歩幅を緩めたり。
仕事終わり、夕日に染まる空に心を洗われたり。
そんな小さな感動が、日々の潤いになっていたはずなんです。
でも最近はどうでしょう。視線は常に地面か、あるいはスマホの画面。
頭の中は「次のタスク」や「明日の予定」。
空を見上げる余裕すら、いつの間にか削り取られていたようです。
どんなに忙しくても、空を見上げる
私たちは日々、生活に追われています。
やらなければならないことに囲まれ、効率やスピードを求められる中で、道端の花や空の色なんて生産性のないものとして切り捨ててしまいがちです。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
日常の中には、実は小さな感動が溢れています。
それに気づけるかどうかは、景色の問題ではなく、自分の心の持ちようひとつなんですよね
「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書きますが、まさにその通り。
どんなにスケジュールが詰まっていても、一分、いや、たった十秒でもいい。
立ち止まって、ぐーっと背伸びをして、空を見上げる。
そんな「何にもならない時間」こそが、自分を自分らしく保つために必要なんだと、知人の写真が教えてくれました。
明日からは、少しだけ意識して顔を上げて歩いてみようと思います。
皆さんも、もし余裕がないなと感じたら、まずは一回、空を見上げてみませんか?
そこには、あなたが気づいていないだけで、驚くほど綺麗な世界が広がっているかもしれませんよ。
それでは、また!




















