「当たり前」が「特別」に変わる時。けっきょく海が好きな話。

どうも、マツオです。

皆さんは、自分にとって「当たり前すぎて、価値に気づかなかったもの」ってありますか?
私にとって、それは「海」でした。

今日は、島育ちの私が、「やっぱり海が好きだな」と再確認するまでのお話を少しさせてください。

泳ぐのは苦手だった幼少期

私は奄美大島で生まれ育ちました。 家から一番近い海までは徒歩15分。

窓を開ければ潮の香りがして、サンゴ礁が広がるエメラルドグリーンの海がすぐそこにある。
そんな環境が私にとっての「日常」であり、「当たり前」でした。

けれど、実を言うと、当時の私はそれほど海が好きではありませんでした。

  • ベタベタする:潮風に当たった後や海から上がった後の、あの特有の肌の質感が苦手でした。
  • 泳ぎが得意じゃない:「島育ち=泳ぎが得意」と思われがちです。私は、海に浮かぶ分にはまだいいのですが、「泳ぐ」のは苦手でした。

綺麗な海が目の前にあるのに、進んで泳ぎに行くことはほとんどない。
そんな少し冷めた子ども時代を過ごしていました。

海が日常から消えた場所で

大学進学を機に、奄美を離れて鹿児島本土でひとり暮らしを始めました。
もちろん鹿児島も海に囲まれています。自宅からそう遠くない場所に海はあるのですが、やはり奄美の透明度とは違います。

次第に、海を眺めるという習慣は私の生活から消えていきました。
でも、不思議とそのことに寂しさを感じることもなく、「まあ、そんなもんだよな」と気に留めることもなく過ごしていました。

久しぶりの帰省で見えたもの

転機が訪れたのは、数年前に実家に帰省した時のことです。 特に目的もなく、ふらっと昔馴染みの海岸へ足を運びました。

波の音を聞き、広がる青い水平線を眺めた瞬間、心の底から「あ、いいな」という言葉が漏れました。

泳ぐわけでもなく、ただそこに海がある。 それだけで、なんだか自分の芯の部分がスッと整うような感覚があったんです。 「けっこう海が好きだったんだな」と、その時初めて自覚しました。

結局、ルーツには逆らえない

それ以来、鹿児島本土でも、自宅から車で数十分かけて海へ行くようになりました。

仕事で疲れた時や、少し心がざわつく時に、ただ海を眺める。
それだけで心が軽くなるんです。

あんなに「ベタベタするから嫌だ」なんて思っていたのに、今ではその潮風さえ心地よく感じます。

意識していなかったけれど、島に生まれたルーツとして、私の体には「海」が刻まれているのかもしれない。

最近はそんなふうに思っています。 自分を形作った環境は、離れてみて初めてその大切さに気づくものですね。

皆さんも、疲れた時は自分の「原点」に触れられる場所へ行ってみてください。
意外な発見があるかもしれませんよ。

それでは、また!